元トップアスリートである篠原信一の生涯を紹介します。生い立ちから現在までの歴史を紐解いていきます。篠原信一は日本を代表する柔道家で、青森県に生を受けました。兵庫県の神戸市で育ち、中学校に入学したのと同時に柔道を始めます。外国人にも負けない恵まれた体格と磨き上げた技術で、大学生になると一気に才能が開花しました。
大学を卒業した後、2000年に開催されたシドニーオリンピックの100㎏超級で銀メダルを獲得します。この時の決勝戦はフランスのドゥイエと対戦しました。ドゥイエが内股を仕掛けてきた時、篠原は内股すかしという技を返します。これを主審はドゥイエの有効と判定したため、ドゥイエが有効1つの差で優勝することとなりました。これは日本では世紀の大誤審と呼ばれ、物議をかもしたのです。
しかし、篠原本人は潔く自分の負けを認め、審判やドゥイエを責めるような発言は一切しませんでした。誤審とされた判定よりも、その後も気持ちを切り替えられず形勢を逆転できなかった自分に敗因があると考えたためです。「自分が悪いから負けたんです。」という彼の言葉は、ニュースなどでも紹介されました。この事件をきっかけに、国際柔道連盟では判定が難しい場合に備えてビデオ判定を導入するようになったとされます。
それから2003年に引退し、2008年から2012年までは柔道日本男子の代表監督を務めたこともあります。監督として成績はあまり芳しくはなく、2012年に開催されたロンドンオリンピックで男子は史上初の金メダルゼロという結果に終わりました。柔道は日本のお家芸と呼ばれていただけに、篠原への評価も厳しいものとなったのです。続投する意思も見せていましたが、結局代表監督を辞任することになりました。
その後、テレビで柔道の解説者を務めたこともあり、タレントとしてバラエティ番組などにも出演するようになっています。歯に衣着せぬ発言をするユニークなキャラクターが受けて、タレントとしてもテレビに引っ張りだこになりました。篠原の後を受けた後輩の井上康生が柔道日本男子の代表監督を務めると、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは金メダル2個を含め全階級でメダルを獲得するなど好成績を残しています。それについて自虐的に語るなど、オリンピックの裏話なども聞けるようになりました。現在は家族と共に奈良に在住しており、関西のテレビ番組を中心に出演しています。